煙草いれ

赤まんま

2009年08月05日 23:41



大尽遊び



古いの雑誌切り抜きです。
この様なことで、文化はいつも発展するのですね。
誰が迷惑するやら、喜ぶやら・・・・ね。


次は、この切抜きの文字を「読取革命」というソフトで夫が読み取ったものですが、これより画像の方が読み安いので、これもなにが良いやら悪いやら・・・です。

売り家と唐様で書く三代目---川柳にもあるように、二代目三代目ともなると初代の辛苦惨憺として築いた巨万の富を遊興放蕩のうちに費え果してしまう場合も多かった。堺の豪商銭屋宗安の場合も、京大坂長崎にかけて二十二個所の家屋敷、田畑三一八町現銀六千貫の遺産を、その子作右衛門が「さりとは親にちがい、小便桶まで奥島(舶来の光沢のある縞木綿)を張りまわし、雪隠に笑い絵を書きし美麗風流分にすぎし奢り」という有様で、四年もたたないうちに、ちり灰に至るまで分散してしまった。彼らは単に造作・衣裳に金をかけたばかりでなく、あり余る暇にまかせて諸芸事に通じることに没頭もしたのである。西鶴はそんなどら息子が芸事の修得に没頭する日常を次のように描いている。「手は平野仲庵に筆道を許され、茶の湯は金森宗和の流れをくみ、鼓は生田与右衛門の手筋、昼は玄斎の碁会に交り、夜はハ橋検校を弾き習う。女郎狂いは島原の太夫高橋にもまれ、野郎遊びは鈴木平八をこなす。人間のする程の事、その道に尋ね覚う」と

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