いろほに・・・の 「し」
叱られての「し」
しかられて しかられて
あの子は 町までおつかいに
この子は 坊やをねんねしな
夕べさみしい 町はずれ コーンときつねが
鳴きゃせぬか。
叱られて叱られて
口には出さねど 目に涙
二人のお里は あの山を
越えて彼方の花の村
ほんに 花見はいつじゃやら
私の父が大正6年母は大正10年の生まれでした。
その頃の歌です。
私達が幼い頃にも良く歌われていましたので、今でも時々この歌も頭の中で流れています。
「清水かつら」作詞 「弘田龍太郎」作曲
大正9年(1920)「叱られて」が掲載された少女号はかつらが編集に携わっていた雑誌で編集長は「浜千鳥」「金魚の昼寝」「お家忘れて」を作詞した鹿島鳴秋。
当時、清水かつらが暮らした武蔵野の昼なお暗い道を大変な恐怖心を抱きながらお使いに行かされる子。まして夕暮れだったとしたら「こんときつねがなきゃせぬか」というほどですから。
日本人の心の原風景が見えてくるような歌です
貧乏な一般庶民は口減らしのため子供を奉公に出し奉公先で子守、小間使い、少し大きくなって女中といったような仕事をしたようです。
おまけ
↓
帰宅したばかりの夫に尋ねました。
「金魚の昼寝」ってどんな歌だったかなあ?
すると、着替えの途中の奴が上はまだ着てるのですが下はパンツ一丁のオヤジが踊りだした。
幼稚園のお遊戯会の前に熱でお休みしたので、これだけしか覚えていないと、
胸に手を合わせて首を左右にかしげる、そして膝をチョコンと曲げる。
(娘達が見たら何と言うだろう)
しばらく、開いた口が塞がらなかったよ。
まー、お蔭で思い出しました。
赤いべべ着た
可愛(かわい)い金魚
おめめをさませば
御馳走(ごちそう)するぞ
赤い金魚は
あぶくを一つ
昼寝(ひるね)うとうと
夢からさめた
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