母の日記帳

赤まんま

2022年04月28日 16:14

母が亡くなる前の約三年前位から一年前までの日記です。

同居していた姉も8年後に亡くなり、10年程前に私の手元にきて保管していました。


母の独身時代つまり戦前の絞りの羽織の生地を
手帳のカバー表紙に仕立てた物です。
あちこちシミもありますが、母が好きな羽織だったので



父を見送り難病の姉との二人の日々を思い返すのは気が重くてなかなか開くことができませんでした。

でも、私の年齢もどんどん母の年に近づき
あの頃の母の気持ちを少しわかるような気がしてきたからかやっと目を通す気持ちになりました。

私の作った布絵の葉書も挟んで いて嬉しい。



最近、読んだページにごく近所で一緒に育った可愛い従妹Kちゃんのことがかいてありました。

父のお悔やみにH姉さまと一緒に来てくれたそうで、
Kちゃんが綺麗になって!
なんだか羨ましくなった。
と書いてあります。

これは手帳の中では珍しく母の本心で、叔母のことを羨ましかったのだと思う。

この頃の母の悩みは一緒に暮らす姉にせめて身だしなみを綺麗にしてほしい
ということだった様ですから。

文面ではほとんど廻りの人々にお世話になった、感謝するということばかりだけど、姉の身なりに口出ししては度々、冷戦になり嘆いている。

切ないけど、子供のころからこの親子喧嘩は絶えなかった。

姉の本心は今だ分からない。
母を着飾らせることは好きだったけど、自分の事はほっておいてという人でした。

晩年、ボソッと姉が言った言葉がある。
「私は幸せになってはいけないとずっと思って生きてきたの」

姉が多分5歳の頃、2歳年下で3歳の弟が亡くなった。
お外に行ってはだめよ。
と言われていたのに遊びに行って百日咳に感染して弟にもうつって、それで亡くなったそうだ。

三歳のかわいい盛りの子を失くした母の悲しみは、喪失感は大きくて大変だったらしい。

当時、お腹にいたその2か月後に生まれた次の兄もその悲しみを受けていた。

兄も晩年、母が自分を見てくれたことはなかった遠い誰かを見ていた、と言った。ずっと、寂しかったと。

お前は良かったなあ、親の期待を重荷にすることなく自由で・・・・・と

私は・・・・だからあ・・・ごめんねー…アチラ様にもこちら様にも!!

今日はこのへんで。

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